またしても安保法案がらみのお話し。
と、その前に、心を落ち着かせるために、こんな音楽はいかがでしょうか?
さて、本題。
人はそれぞれ考え方が違うし、
どう生きようと、その人の自由です。
他人の考え方が気に入らないからといって、
その人の思想信条や言動を支配することなどできません。
できないし、そんなことするのは時間の無駄。
『変えられるのは自分と未来だけ』というのは、
アニメ「機動戦士ガンダムOO」から学んだ僕が大好きな言葉。
なので、この安保法案にかぎらず、
誰が何に反対しようが賛成しようがその人の自由ですし、
僕はその判断自体を否定する気はこれっぽっちもありません。
しかし、ものには言い方というのがある。
ここ最近、何度かSNSにやんわりと投稿したのですが、
どんなに筋が通っていることを言っていたとしても、
人をバカにするような言葉を使う人間の話は、
まったく聞く気になれません。
賛成だろうが反対だろうが、
たとえどんなに怒っていようが、
「あいつは人殺しだ」だの、「独裁者」だの、「お花畑」だの、
そんな言葉が入った時点で、
それは提案や議論のたぐいではなく、ただの悪口。
自分の思っていることを世の中に問いたいのであれば、
また、世界に働きかけたいのであれば
使っていい言葉と、そうでない言葉があるはずです。
そして、あなたが「独裁者」と言っている人は本当に「独裁者」なのか、
あなたが「無知だ」と切り捨てた人を、なぜ無知だと言い切れるのか。
あの人は本当に「戦争をしようとしている」と100%断言できるのか、
それは「日本の平和のため」ではないと本当に言えるのか。
あの人が心配していることは絶対に起こらないのか、
そんな心配をする事が本当に「平和ボケなのか」。
それは怒りに任せた感情で言っているのか、
誰かの受け売りなのか。
それとも、間違いなくそうだから、そう言っているのか。
「間違いなくそうだ」と思うならその根拠は何なのか。
あなたが「これが根拠だ」というそのブログを書いているのは一体誰で、
その人は本当に信用できる人なのか。
ふぅ。
息抜きにこころの安らぐ音楽を(笑)
さて、人間ですから、間違うこともあるでしょう。
「賛成」だったけど、「やっぱ反対」とか、
その逆もあるかもしれません。
そんなのは全然いいと思います。
間違ったことは一切言うな、と言っているわけではないんです。
レッテル貼りや個人をけなす言葉がほんとうに必要あるのかということです。
いくら世界平和だの社会情勢だの大切そうな話をしていたって
感情に任せて汚い言葉を使っていたら、それはただの愚痴です。
人の悪口は穴でも掘ってその中にどうぞ。
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